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ブランドの歴史



1789

パリでフランス革命が起こっている頃、アントワンヌ・クルトワの父親は、サン・ジェルマン・デ・プレのカルチェ・ラタンにあるマザラン通りに、家族経営による楽器製造工房を設立しました。当時作られたナチュラル・ホルンは現在ベルリンに展示されており、パリ国立高等音楽院の博物館に所蔵されている軍楽隊のトランペットも、楽器に彫られた彫刻から同時期のものだとされています。そのトランペットはかつて、1799年のアッコ攻囲戦の際にナポレオンによって派遣された将校のものでした。


1803

アントワンヌ・クルトワ(1770‐1855)はこの年、工場をケール通り21番地に移転しました。この時代の楽器には、ホルンと似た音のする扇型のトランペット、キイ付きのフリューゲルホルン、オフィクレイドなどがありました。


1851

1851年2月21日 アントワンヌ・クルトワの息子で1844年に後継者となったドゥニ・A・クルトワは、フランス セーヌ県で金管楽器製造の向上、とりわけヴァルヴ・システムの製造における発明の特許を取得しました。


1856

ドゥニ・A・クルトワは、工場をマレ通り88番地に移転しました。そこでは音楽史上の重要な演奏家、ジャン=バティスト・アーバンらとともにアーバン・ヴァルヴの開発など、楽器の改良を次々に行いました。


1878

パリ万博において、〈アントワンヌ・クルトワ〉の製品品質が『最高の職人技と完璧な音程』として、金賞を受賞しました。


1880

ドゥニ・A・クルトワは、死後の後継者がいなかったため、1880年7月29日 工場責任者のオーギュスト・ミルが2万フランの資本金で〈Antoine Courtois & Mille〉を設立しました。彼は25名ほどの職人をかかえ、15年間会社を運営しました。この間も、多くの展示会において多くの賞を受賞しました。


1895

1895年以降、エミル・デルフォーとアメデ・ルゲイがオーギュスト・ミルの後を引き継ぎました。彼らはパリ国立高等音楽院の才能溢れる奏者たちに楽器を提供し、万博が開かれるたびに賞を受賞し続けました。


1909

〈アントワンヌ・クルトワ〉は、フランス芸術省の専属楽器供給ブランドとなり、フランス国立パリ高等音楽院をはじめ各地の音楽院、オペラ座、フランス国内のオーケストラやギャルド・レピュブリケーヌなどに楽器を提供しました。


1917

パリで楽譜出版社を経営していたエマニュエル・ゴデは、エミル・デローリエと協力して、〈アントワンヌ・クルトワ〉の工場を買収しました。1927年8月31日、10万フランの資本金をもとに新たな会社運営を開始しました。


1956

1934年に父エマニュエルとの共同経営を経ていたポール・ゴデは、1937年に〈アントワンヌ・クルトワ〉の取締役となり、フランス アンボワーズに新たな工場をオープンしました。


1967

ポール・ゴデの息子、ジャック・ゴデは父親の会社で、著名なアーティストらとともに楽器の開発に取り組みました。そして1980年に〈アントワンヌ・クルトワ〉の社長に就任しました。


2006

〈アントワンヌ・クルトワ〉は数年間、ドイツ資本のJA Musikの傘下を経たのち、フランス生まれの〈ビュッフェ・クランポン〉と合併し、長きにわたる伝統と経験を現代に活かしています。


2012

この年、新たにグループ名を“ビュッフェ・グループ”へと変更しました。 これは、“管楽器における世界的象徴”という方向性のもと、それぞれのブランドが一つに集結した証なのです。

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